かがまるボイス

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有限会社 岡元農場

岡元豊さん・雅子さん

生産農家(岡元農場/能美市)

岡元農場の岡元豊さん、雅子さん夫妻は、能美市にある1町歩(3,000 坪)の畑で約3万5千個の「加賀丸いも」を作っている若手農家。直販や通信販売を行うほか、小学生の「加賀丸いもづくり体験」の受け入れ、インターネットでの情報発信などにも力を入れています。そこには「加賀丸いも」への情熱がたっぷりと詰まっていました。

「加賀丸いも」の栽培

 「加賀丸いも」の栽培を始めたきっかけは?

豊さん:「加賀丸いも」を作り始めたのは、私が23歳の時です。私の家は米農家で、農業短大を出た後に2年間アメリカで農業研修をして、帰国後に実家に戻って自分の食い扶持として新しく加賀丸いもの栽培を始めたんです。25 歳の時に結婚して、今は妻も農業を手伝ってくれています。

アメリカでの農業研修で、農業に対する意識が大きく変わりました。ロッキー山脈が一望できるコロラド州の広大な農場で羊を飼いながら、トウモロコシや大麦、牧草などの栽培を経験しました。その農場を経営する日系三世の3兄弟に、なぜ農業をしているのか尋ねたことがあるんです。彼らは「アメリカでは農業をしたいと思っていてもできない人がたくさんいる。私たちには親から引き継いだ農場がある、それをやらないのはもったいない。何より農業は誇るべきいい仕事だ」と言うんです。そして「君にもそういう環境があるんだから、ぜひやるべきだよ」と。その言葉を聞いて「農業とは、神様からいただいた命を繋いでいくための食料をつくる仕事だ」という思いを持つようになりました。「加賀丸いも」を岡元農場の新しい作物として選んだのも、先祖代々暮らしている、この土地でしか作れない作物だということが大きいかもしれませんね。

手取川の水源である霊峰白山を望む岡元さんの畑

手取川の水源である霊峰白山を望む岡元さんの畑。豊さんが農業の道に進む覚悟を決めたアメリカで研修した農場の景色にもよく似ているそう。

 「加賀丸いも」は、手取川周辺でしか作れないんですか?

豊さん:そうです。手取川が氾濫して、粘土質の田んぼに川砂が混ざり込んだことで土壌が変化し、丸い芋が育つようになったんです。大正時代に栽培が始まり、能美市と小松市の一部のエリアでしか作れず、栽培農家は一時期より減って現在50 軒くらいです。

栽培に手間暇がかかり、1個の種芋から1個の芋しか採れません。元来は山芋なので山で育つものですが、ここは海沿いですよね。山の状態を再現するために畑の畝を高く作ったり、山の木の代わりに支柱を立てたりするのが独特の栽培方法です。そして形もデコボコするのが当たり前なのですが、適した土で育てると丸い形になり、この近辺でも少し場所がずれて土が違うと丸くは育たないんです。知れば知るほど面白い作物です。

すごく出来のいい年もあれば、天候の影響で形が悪かったり、収穫量が減ることもあるし。芋の出来は掘ってみるまでわからず、丸くてキレイな芋が出来た時は本当に嬉しいんですよ。どうしたら丸くてキレイな「加賀丸いも」が出来るのか、今でもその栽培方法が確立しているわけではなく、農家の仲間同士で研究したり、試行錯誤しながら育てています。

大きくまん丸な「加賀丸いも」

収穫期にはまだ早かったが、試し掘りで大きくまん丸な「加賀丸いも」が出てきた。今年の出来も期待できそう。

 奥さんのご実家も農家ですか?

雅子さん:実家は地元ですが農家ではありません。お米も「加賀丸いも」も食べてはいましたが、農業に関して知識も経験もゼロで全く未知の世界でした。結婚前は設計士の仕事をしていて、結婚後は農繁期だけ手伝うという、家族の中で自分だけ兼業農家的な働き方をしていました。

子育てを大切にしたいと思って設計士の仕事は辞めたんですが、農家の嫁は子育てに専念というわけにはいかず、やっぱり家の仕事をしないとダメなんですよ。ご飯を作ったり、田んぼや畑にお茶を持って行くことから始まり、いつの間にかすっかり農家になっていました(笑)。農業は土日も関係なく、雨の日には休みがとれるんですが、自分だけ外へ働きに行っていると家族と休みのタイミングが合わないんですよ。それで、休みが一緒の方がいいなと思うようになって。

家族の時間を大切にしたいと、嫁ぎ先で農業に従事するようになった雅子さん。今では夫婦二人三脚で「加賀丸いも」に情熱を注いでいる。

 農場併設のお店で直売や通信販売などもされていますね。

雅子さん:はい。JA にも出荷していますが、お客さんの声が聞ける直販・通販もやっています。農場も最初は主人と主人の両親、私だけで農作業をひたすらやっていたんですが、これからは自分たちで売ることやPRの方法も勉強しなくてはと考えるようになったんです。

豊さん:最初は私が農作業と経理をやっていて、忙しくなって妻が経理を見るようになりました。次に自分達が作ったものを直接販売することも始めると、お客さまの声も直接聞けて、それが励みになりました。「いしかわ農業総合支援機構」の「いしかわ耕稼塾」にも参加しました。私は経営コース、妻はトライアルコースでブランディングやマーケティングなどを勉強しました。それで、岡元農場オリジナルの米袋やキャラクター、ホームページも作っていったんです。

若い人たちにもっと気軽に手に取って欲しいという思いから、親しみやすいキャラクターやパッケージにも工夫した。

 「加賀丸いも」を作っていてよかったと思うことは?

雅子さん:とにかく相性が良かったんですよ。他の農作物も作ってみましたが、自分に合ってないなと思ったんです。「加賀丸いも」は楽しくて、たまたま自分と相性が良かったんでしょうね。育てるのは大変ですけど、「加賀丸いも」のおかげで「地域特産物マイスター」の認定も頂きましたし、テレビで取材してもらったり、子供たちの体験学習の授業をさせてもらったり。「加賀丸いも」を通して本当に色々な出会いに恵まれました。

「加賀丸いも」の「地域特産物マイスター認定証」

「加賀丸いも」の「地域特産物マイスター」は、豊さんの師匠である麻田良一さん、伝来者の子孫である澤田秀雄さん、そして豊さんの現在3名。

 

お米の作業の合間に、「加賀丸いも」の作業がうまくはまるのもいいんですよ。種芋の植え付け作業が終わると、今度は田植えをするんです。「加賀丸いも」は6月に芽が出るので、3月中旬から5月中旬までは作業はないんです。その間は米作りに集中できるし、9月の芋の肥大期も手をかける必要がなく、その間は稲刈りに集中できます。稲刈りが終われば、次は「加賀丸いも」の重要な作業である畝立て。そうした農作業スケジュールからみても、米と芋のコンビネーションは絶妙なのです。

まだ寒さの残る3月、種芋の手植え

まだ寒さの残る3月、一つ一つ穴を掘り、切り口を下にして種芋を手植えする。

 

雅子さん:「加賀丸いも」が、ここの土地でしか作れないということや、栽培がものすごく難しくて、わからないことが多いのも魅力かもしれませんね。「そんなに大変なのによくやるね」と言われることもあるのですが、大変なこともあるけど、それがまた面白いことでもあるんです。川が氾濫して畑が水浸しになった年があり、掘っても掘ってもダメで立ち直れないくらいガッカリした時もあるんですけど、ちゃんと採れた時はすごく嬉しい。そういうのを乗り越えてやるときに、やりがいを感じます。

お客さんが「美味しかった」「こんな風にして食べたよ」と言ってくれると、本当に嬉しくて誇らしい気持ちになります。皮を剥くのが面倒だったり、高級食材のイメージがあって若い方に食べて頂く機会が少ないのですが、まずは食べてみて欲しい。山芋や自然薯とは本当に違っていて、粘りや味にきっとビックリすると思います。簡単で美味しくできる調理方法も、どんどん伝えていけたらと思っています。

 小学生の体験教室もされているんですね。

豊さん:私の出身校でもある能美市立福岡小学校からお声がかかり、3年生の「特産品総合学習」で「加賀丸いも」の植え付けから、夏休み中の途中観察、秋の収穫体験に協力しています。この取り組みが始まって約20 年になります。収穫後は親子でお好み焼きを作って食べるという内容で、市外から嫁いできたお母さん達も多く、初めて「加賀丸いも」を調理する方もいるようです。

「加賀丸いも」の体験学習

20 年以上続く地元小学校の「加賀丸いも」の体験学習にも協力。

 

売られている芋は見たことがあっても、どんな風に植えて、どんな葉っぱが出て、土の中でどんな形で育っているのか。子供の食育だけでなく、大人にとっても「加賀丸いも」を知ってもらう、手に取ってもらういい機会になっていると思います。100 年前に栽培が始まった「加賀丸いも」を、次の100 年先に伝えて行く、自分たちはその中間で命を繋いでいく仕事をしていると思っています。

雅子さん:全国の方にも「加賀丸いも」の美味しさを知ってもらい、食べてもらいたいし、地元の方にも郷土の食材として身近に楽しんでもらえたらと思います。美味しい「加賀丸いも」を作ること、その魅力を伝えること、どちらも頑張っていきたいです。

大きな「加賀丸いも」を掘り出した子供たち

大きな「加賀丸いも」を掘り出して子供たちも大興奮。自分で掘った芋の味は格別です。子供たちの、そのまた子供たちにも食べてもらえるように、「加賀丸いも」を大切に守り伝えていきたい。

有限会社 岡元農場

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